情報がストレスになる時には「見ない」選択肢が有効です。

私はあまり自分の情報を発信するSNS(特に個人的な情報を発信するSNS)が苦手で・・・。
書きたい事を書けるのが、こういった公の場だというのも・・・ちょっといかがかなと思いますが・・・でも、
誰も別に私の個人的な事を知りたいと思う人はいないだろうと思いますので、少しでも皆さんのお役に立てることを書いていきたいな。と思って、ココに至ります。
昨今、X(昔のツイッター)などでも見てストレスになる情報が流れてきますが、疲れている時は「見ない」に限ります。
私は、こういう仕事をしているくせに、地上波のテレビはほぼ、いや、去年の紅白を見るためにチューナーをつなぎ直すレベルで・・・見ておりません・・・。
ちなみに、最近のメディアの動きには下記のような流れが見られます。
■あらかじめ、スポンサーに忖度された内容のメディア
■Xなどの素人情報をかき集め、世論の代表であるかのような情報をトップで報道し、支持を稼ぐメディア
■あえて、上記によって揺るがされない独自を貫くメディア
基本的に、大きな国の大きな機関などと全く関係のない純粋な情報を流すメディアは・・・無いでしょうね。
では、何を信じれば良いのですか?と聞かれましたら、私はこう答えます。
何も信じる必要ないですよね?もう、個人の時代。「周りがこうだからこうする」という生き方は時代に合いません。
というより、それだと自分や家族をいざと言う時に守れないです。
ちなみに、私は夫にも「個人が特定できるような言及はしないように」と言っています。
個人が特定できる、というのは、「個人的な相手(相手が著名な政治家であっても)をけん制したり批判すること」を言います。
これからは、発信も頭を使っていかなければなりません。私のこのブログも、「それって誰の事ですか?」と聞かれても
「いや、別に、誰の事でもないですよ」と言える範囲です。
いかに、個人を特定せず、自分の言いたいことだけを言うか・そしてそれによってもたらされるものは。ズバリ、

「仲間を集める事」です。「感性が合う人」と共鳴し合うには、多くを語らない方が良かったりします。
ちなみにフェイスブックのユーザーさんに一定数多いですが、「こういう人は〇〇」という切り口の書き込みで、否定的なものを見ると
一部の人は、「そうだよね」と共感し、一部の人は、「私の事を言っているのかな?」と自己否定的になり、一部の人は、信者の様に妄信します。
この妄信のプロセスは、複雑で、投稿者は一見「自分の事を支持してほしいと思ってはいない」と見せていますが、大本で言いたいことは、「誰にも依存的ではない太い生き方が出来る」という事です。
これは、成功すれば「この方と一緒に頑張っていきたい!」と思うモチベーションの人たちと分かち合えますが、やり方を間違えると「この方に認められたい」というメッセージにつながってしまいます。
よって、妄信の構図が成り立ちます。
ちなみに、「妄信の構図」は若い方の中では生まれにくいです。それは、今の若い方たちは、自分の必要な情報しか取りに行かないからです。
こういった構図はSNS上でしか起り得ないと思います。
そんな風に、皆さんが心地よく、「楽しいなあ」と思える人たちと繋がれるように、ブラッシュアップできたら素敵ですよね☆彡

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